東北本線
8月18
8月6
6月11
1月7
EF81 81がローズピンクに銀帯のお召塗装に復元されてからはや半年が経つ。ただし稼働回数は少なく、客車列車に限れば黒磯訓練での24系6連牽引にとどまっていた。そんなところで訪れたカシオペア牽引のチャンス。ステンレスとはいえ長編成客車との組み合わせがようやく叶った。

東北本線 南浦和-蕨/回9062レ(カシオペア・クルーズ回送)/EF81 81+E26系12連+EF510 510
ただ昼過ぎに尾久着のスジだったので撮影地に恵まれず、光線を考慮すると冴えない窓割りの通路側で妥協せざるを得なかった。3線空きで間延びするのを避けるために、首振りアングルで圧縮するべく脚立持参で向かった南浦和直近のポイントは線路間の杭が多く、結局無理のある構図になってしまったのが惜しい。次回はヘッドマークつきの正調編成をすっきりした撮影地で狙いたいものだ。

東北本線 南浦和-蕨/回9062レ(カシオペア・クルーズ回送)/EF81 81+E26系12連+EF510 510
ただ昼過ぎに尾久着のスジだったので撮影地に恵まれず、光線を考慮すると冴えない窓割りの通路側で妥協せざるを得なかった。3線空きで間延びするのを避けるために、首振りアングルで圧縮するべく脚立持参で向かった南浦和直近のポイントは線路間の杭が多く、結局無理のある構図になってしまったのが惜しい。次回はヘッドマークつきの正調編成をすっきりした撮影地で狙いたいものだ。
10月25
高久で新幹線を撮った日の話の続き。光線が回らなくなってきたので長居せずに帰路についた。高久は交直セクションのある黒磯から交流側に1駅だけ入ったところにあり、1区間だけではあるが701系に乗って黒磯で乗り換えることになる。黒磯では20分少々の待ち時間があった。そしてその間に1070レに追い抜かれるようだったので暇つぶしがてら機関車交換を観察してみた。

東北本線 黒磯駅/構単1070レ/EH500-2
1070レはEH500-2の牽引する石油貨物であった。定時に到着するとEH500-2はすぐさま切り離される。EH500-2が駅北側交流電化の機溜線に引き上げてくる頃には編成先頭にEF210がついていて、汽笛一声とともに出発していった。機関車交換に要する停車時間は10分に満たない。こうした光景は黒磯では1959年の電化以来お馴染の光景だが、EH500は北海道新幹線開業とともに25000Vに昇圧する青函区間の運用をEH800に譲ることになる。そうするとEH500の首都圏-青森のスルー運転が増えるはずで、こうしたテキパキとした機関車交換も過去帳入りしてしまうのだろうか。

東北本線 黒磯駅/構単1070レ/EH500-2
1070レはEH500-2の牽引する石油貨物であった。定時に到着するとEH500-2はすぐさま切り離される。EH500-2が駅北側交流電化の機溜線に引き上げてくる頃には編成先頭にEF210がついていて、汽笛一声とともに出発していった。機関車交換に要する停車時間は10分に満たない。こうした光景は黒磯では1959年の電化以来お馴染の光景だが、EH500は北海道新幹線開業とともに25000Vに昇圧する青函区間の運用をEH800に譲ることになる。そうするとEH500の首都圏-青森のスルー運転が増えるはずで、こうしたテキパキとした機関車交換も過去帳入りしてしまうのだろうか。
3月7
上野駅にD51が入線するという俄かには信じがたい話が舞い込んだのが2月中ごろの話。その後公式に発表されたと思っていたら、あっという間に当日が来てしまった。撮影地を検討するが、運転区間が尾久~上野のわずか4.8kmの区間に限られ、加えて写真を撮ったことのないエリアだったので大いに迷った。大雑把に目星をつけてあとは現地で決めようととりあえず日暮里に向かった。
東北本線 尾久→上野(鶯谷北側) /試9014レ/D51 498+オヤ12 1+EF65 501
都心らしい写真を狙って日暮里から南へ歩く。案外撮影できるところが多く、撮れるところがあればいいや程度に思っていた私には予想外の悩みとなった。曇天だったので空が入らない俯瞰的なアングルがいいと考え、最終的に鶯谷北側のポイントに構えた。日本最多の10線が併走する区間だけに併走する列車が何か来てくれるだろうと期待を賭ける。直前に山手外回りが通過し溜息をつくも、D51が京成線の下から顔を見せるとともに内回りと京浜東北線南行北行が揃ってやってきてくれた。ほとんど運のおかげではあるが、2003年12月以来の上野乗り入れの記録として、そこそこ満足できる仕上がりになった。
11月16
11月14
11月6
10月12
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